一緒にいられる時間は、
永遠ではない。
家族と過ごす時間の短さ、尊さ、儚さについて。
「また今度、ゆっくり話そう。」
その「今度」を、私たちは何度、先に延ばしているでしょうか。
一緒にご飯を食べる。出かける前に声をかける。今日あったことを話す。家族との時間は、毎日の暮らしの中に溶け込んでいます。だからこそ、その大切さを実感しないまま、一日が過ぎていくこともあります。
私は、生徒たちが自分の人生を切り拓いていくことと同じように、大切な人と過ごす今の時間にも、目を向けられる人になってほしいと思っています。
いつもの日常にも、限りがある。

子どもは成長し、進学や就職を機に暮らしが変わることがあります。親も年齢を重ね、それぞれの生活や役割が変わっていきます。同じ顔ぶれで、同じ食卓を囲める日々も、少しずつ形を変えていくものです。
長い人生の中で、家族と毎日顔を合わせて過ごせる時間は、思っている以上に短いのかもしれません。今の声、今の表情、今だから交わせる会話。その一つひとつは、今日だけのものです。
一緒に笑ったこと。何でもない話をしたこと。疲れた日に、ご飯を用意して待っていてくれたこと。後から思い返したとき、そんな日常が、かけがえのない記憶になっているのだと思います。
送迎の車の中にも、大切な時間がある。
練習に送り出してもらう。帰りを待っていてもらう。試合を見守ってもらう。生徒たちの挑戦のそばには、家族が使ってくれている時間があります。
車に乗るときに「お願いします。」降りるときに「ありがとうございました。」家族が自分のために時間を使い、送り届けてくれる。そのことに気づき、感謝を声にして伝える。送迎の時間にも、そんなやり取りがあってほしいと思います。
送り迎えの車の中で、今日の出来事を話す。うれしかったこと、悔しかったこと、まだ言葉にならない気持ち。話したいときに話せるように、そばにいて耳を傾ける。その安心感を、大切にしたいと思います。
生徒たちには、家族が自分のために使ってくれている時間に気づいてほしい。そして大人も、子どもの今しかない表情や、挑戦している姿を受け止めていく。短い帰り道も、お互いを知る大切な時間になるはずです。
伝えられる今に、言葉にする。
大切に思っている相手ほど、気持ちを伝えることが照れくさくなることもあります。いつでも言えると思っているうちに、言葉にしそびれてしまうこともあるでしょう。
たとえば、こんな言葉が、毎日の暮らしの中で自然に交わせたらと思います。
ご飯のときは、手を合わせて「いただきます。」食べ終わったら、「ごちそうさま。今日もすごくおいしかった、ありがとう! またこれ作ってね。」
きれいになった服を受け取るときに、「洗濯してくれてありがとう。今度は自分で洗濯機を回せるようになりたいから、教えてね。」
お気に入りの服を着るときに、「いつも私の好きな服を買ってくれてありがとう。大切に着るね。」
試合の帰り道には、「今日はあんまりうまくいかなかったけど、応援ありがとう。次はもっと活躍して、ママにも喜んでもらえるように頑張るね!」
そして、「もっとユニフォームを汗びっしょりにして、洗濯に出すね!」と笑い合う。そんな少し照れくさくて、思わず笑顔になるやり取りも、家族だからこその温かい時間になると思います。
「ありがとう」が、「今度は自分もやってみるね」につながっていく。そんな小さな成長を家族で喜び合える時間も、大切にしていきたいと思います。
大人からも、「今日も頑張っていたね。」「一緒にいてくれてうれしい。」と気持ちを伝える。親も子も、お互いの存在を喜び、感謝を言葉にする。その積み重ねを大切にしたいのです。
一緒にいられる時間には限りがある。その儚さを知ることで、いつもの挨拶や、食卓での会話の尊さにも気づけるのではないでしょうか。
自分の幸せの中に、家族との時間を。

前のコラムでは、自分で稼ぎ、自立して、自分の幸せをつかめる人財を育てたいという想いを書きました。何に時間を使い、誰と過ごすかも、自分の人生を選ぶことの一つです。
挑戦したいことに本気で向き合う。その日々の中で、支えてくれる人に気づき、その人と過ごす時間も大切にする。いつか振り返ったとき、「あの時間があってよかった」と思える日を重ねていってほしいのです。
今日の「ありがとう」を、今日伝える。
親も子も、一緒に笑える今を、少しだけ丁寧に味わってほしい。私は、自分の幸せをつかむ力とともに、大切な人との時間に幸せを感じられる心も育てていきたいと思っています。

